| 年表 |
手ぬぐいの歴史 |
日本史 |
奈良時代
700〜800 |
文献に「たのごひ(太乃己比)」と言う文字が見られます。
「た」は手、「のごひ」は拭うという意味で、そのまま「手ぬぐい」という意味になります。
神仏に対して身体、あるいは器具を清めるために使われていた様子です。
|
まだ竪穴式住居に住む人もちらほら。 |
平安時代
800〜1200 |
 |
「衣服令」により貴族は絹、庶民は麻織物を使うことが決められていました。
木綿はまだ輸入品で、とてもとても高価でした。
その頃、三河の国に天竺人(天竺は今のインド)が漂着。その人たちが木綿の種を持っていましたが、栽培には成功しなっかった様です。(「類聚国史」による)
この時代、貴族でもお湯に入浴する習慣がないので、お香をたいて身体の匂いをごまかしていた様です。
(紫式部が「源氏物語」を書いたのはこの頃)
|
| 1500年頃 |
中国や朝鮮で、木綿の栽培が増え、日本に輸入され始まりました。
日本では、綿の肌触りの良さに大人気となり、朝鮮で品薄になる程大量に輸入したため、朝鮮は、びっくりして輸入制限をかけました。
このため、国内の需要に応える為、国内での木綿の栽培が始まった様です。
|
江戸時代
1600〜 |
「木綿」がやっと庶民の手が届く布になります。
歌舞伎役者に観客が歓心を買うために「手ぬぐい」を贈ったのを始まりとして、「手ぬぐい」は歌舞伎役者の名刺代わりとして、紋や名にちなんだ文様を配した、粋で趣向をこらしたものが多くつくられました。
当時、歌舞伎は流行の最先端で、その模様をみんなが真似ていったのです。
(市松文様は、佐野川市松が、舞台で演じた時に用いた石畳文様の袴から来ています。「市松寄合」と呼ばれるファンクラブまであったそうです)
浮世絵のあちこちに「手ぬぐい」が登場する程、庶民の「粋なアイテム」となっていきます。
|
木綿が日本国内に一気に広がって行きました。
今までは麻織物中心だった服が、綿織物となります。
幕末に、黒船で日本に来たペリーが「日本の人は最下層の人まで小奇麗な服装をしている。」と言ったほど、洗いやすく、肌触りの良い木綿は一般に浸透していたのです。 |